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来し方行く末(こしかた ゆくすえ)は、団塊世代の男の生き方です。

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働き盛り1970-1990年代

経済低成長〜円高不況・バブル経済〜情報化社会へ

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1.1970年〜1990年代の日本と世界の経済環境
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 1970年代は、高度経済成長が一段落、オイルショックで低成長時代へと移行した。スーパーマーケットが全国的に普及。安い海外炭に押され多くの国内炭鉱が閉鎖された。
 田中角栄の「日本列島改造論」は日本の産業構造と地域構造を積極的に改革して、過密と過疎の弊害を解消し、産業・文化・自然が融和した地域社会造りを目的としたが、土地投機と過剰流動性から狂乱的な地価暴騰を招いた。

 霞ヶ関ビル・世界貿易センタービル・京王プラザホテルなど高層ビルが次々着工され、マンションブームが到来。
 そろばんや回転式計算器に代わって電卓が急速に普及した。連合赤軍が国内外で暴動を起こし、浅間山荘事件が起こった。暴走族が現れた。海外旅行が一般化した。

 バブル絶頂期を迎えた1980年代は、渋谷パルコや新宿ルミネ、ラフォーレ原宿などファッションビルが開店、「男は黙ってサッポロビール」とか、「そうだ、京都行こう」など、コピーライターが時代の寵児ともてはやされた。
 求人倍率も2倍以上で推移し就職戦線は圧倒的な売り手市場、面接の交通費支給はもとより、内定者確保のため無料で海外旅行招待など行われた。
 賃金も上昇し、アルマーニのスーツにロレックスの腕時計、高級外車を乗り回すバブル人もでた。
リゾートホテル


 1985年、アメリカの顕著な対日貿易赤字を解消するため、円高ドル安に誘導するため、世界主要5カ国がニューヨークのプラザホテル集まり、為替レート安定化合意「プラザ合意」が発表された。これにより240円のドル円レートが1年後には150円台での取引となった。
 バブル時代の象徴として1987年、安田火災がゴッホの「ひまわり」を58億円で落札したり、「リゾート法」を制定してスキー場はじめリゾート事業が急激に拡大、狂乱的なブームを巻き起こした。翌1988年には、ニューヨーク・マンハッタンでアメリカの誇りとも言うロックフェラーセンターなど高層ビル群を三菱地所が買収。




1989年にはベルリンの壁が崩壊、東西冷戦体制が崩壊。

パソコンやインターネットが世の中に広がる前の時代。

1991年、バブルが崩壊し1993年迄景気が後退した。湾岸戦争
1995年、阪神淡路大震災、オウム真理教による地下鉄サリン事件
、アメリカはベトナム内戦に介入してベトナム戦争が本格化。泥沼化で戦費が増大した。軍事生産に力点を置いたので工業力が衰退、経済成長を遂げた日本の自動車や家電分野で敗退、国際収支が悪化してドル危機を招いた。1971年ニクソン大統領は金とドルの交換停止を発表、変動相場制に移行し、ニクソンショックと呼ばれた。
 1973年には第4次中東戦争で第一次石油危機が起こり原油価格が上昇、世界経済は混乱を極めた。また1979年のイラン革命により第2次石油危機が起こって不況が長期化した。
 日本国内を見れば第二次世界大戦後、日本本土やアメリカの施政下にあった沖縄がベトナム戦争で米軍の前線基地となり、軍需物資の調地として日本は経済的恩恵を受けた。1972年、27年ぶりに沖縄が返還された。









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来し方行く末
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長谷部 勲(はせべ いさお)
第二次世界大戦終戦の翌年1946年、団塊世代で栃木県の生まれ。
戦後の混乱期、農業兼国鉄マンの家庭に育ち高卒で就職したが、1年で退社。大学を出て就職、後に会社を興して社長職。2010年社長を辞して仏教徒(浄土真宗)になる。お陰さまの安穏な日暮し。